このブログを書くキッカケになったお話。全10話のシリーズ記事です。
海外経験豊かなハーフがゴリゴリの日系企業に就職してみた。
第10話 – 最終回です!
第一話はコチラ:
『日本の社会人』になりきれなかった
日系大手のドイツ拠点の駐在員となったドイツハーフ。
会社からは、両方の国の言語や文化、働き方を熟知した人材として『橋渡し役』のように働く事を期待されていました。
期待は大きかった
ドイツの大学を卒業してから、帰国子女として大手企業に鳴り物入りで中途入社。「グローバルな人間になる!」という目標のもと頑張って働いて、なんとかドイツ出向というステージまで会社員生活を進めることができた。
しかし…。
結論から言うと、
やっぱりダメでした。
自分の意思が弱かっただけかもしれない。けれど、ドイツハーフは最後まで日本の会社員になりきれなかったのです。
『消極的な人間』に成り下がったドイツハーフ
駐在先のドイツオフィスでは、「もっと頑張ろう!」「結果を出そう!」というポジティブな姿勢で前向きに働くことができませんでした。
なぜだろうか
そもそも自分は、グローバル人材として会社に中途採用されました。
ドイツ語堪能で海外経験の長かったドイツハーフには、出向前から『本社の考えを踏襲して海外で働く』ための教育がなされ、それをベースに海外で活躍する…という筋書きがあった。
・日系企業の担当営業として『日本の働き方』を経験する
・本社での営業業務を通して社内の関係作りをする
・新入社員研修をはじめ各種社員研修へ参加する
これらを通して基礎作りが行われ、日本の社会人として働くためのスキルを身につけました。
そうやって”育成”された自分には、次のようなタスクが期待されていた:
- 本社の組織と仕事を理解したバイリンガルとしてドイツに赴任
- ドイツを拠点に欧州のビジネス促進と拡販業務に従事
- ビジネス・プロジェクトをグローバルにリードする
これらは入社当初から言われていたキャリアパスであり、グローバル人材を目指す自分にとっては魅力的であり大きなモチベーション。
しかし…。
他人事のように聞こえますが、結果は散々なものでした。
色々と想定外だった
「モノは試しだ!」という勢いで入社した日本企業では、最初の2年の本社勤務で消耗したあげく、ドイツへ出向した後も状況は変わらなかった。
もちろん、自分の力不足もあります。
それでも、ドイツハーフは最後まで『日本の働き方』について行く事ができませんでした。
出向先の日本人駐在員は、同族意識が強すぎるあまり、また「自分は本社の人間だ!」という自負のせいで現地の外国人とのコミュニケーションすら満足にできていない。
言葉の壁もある
かたや、自分は現地のセールスチームの一員として『外国人上司』のダイレクターとも密に仕事をしている。
完全に二極化した環境の中で、一方では日本人だけのムダ会議やムダ残業に付き合わされ、他方では外国人上司がその事実すら知らない…という状況です。
もうめちゃくちゃ
本社からの期待に応えるために『日本人が優先する業務』がある反面、実際のビジネスの現場ではドイツ語を駆使して外国人チームと上手に協働しなければならない。
それらを上手に両立させる事はほぼ不可能で、非効率な長時間労働がなくならないまま、いつしかポジティブな思考を失ってしまった。
いや、でも。
それにしても…。
自分はいつからこんなに消極的な人間になってしまったのだろうか?
18歳で単身ドイツに渡って、厳しかったドイツの大学を卒業して、意気揚々と凱旋帰国で日本の大手企業に入社してみたドイツハーフ。
当時の自分は自信に満ち溢れていました。
「自分のスキルを最大限に活かしてグローバルに活躍するんだ!」
そんな野心がメラメラと燃えていたし、自分が会社を引っ張るくらいの気持ちすらありました。ただの勘違いかもしれないけれど、そう願って止まなかった。
モチベーション高かった
調子をこいていた時期もありましたが…。
いずれにせよ、基本的に自分は常に前向きな人間だった。
入社後は営業部での『ヤバイ時期』があったものの、今こうしてドイツ駐在員として活躍の場が与えられている。これは本当に恵まれた環境です。
けれど…。
フタを開けてみれば、駐在してから2年経った時点で諦めムード。
もうお腹いっぱい
入社前の自分が見たら、「グダグダするな!」「打開策を見つけろ!」と叱咤激励していた事でしょう。
それでも…。もう単純に頑張れなくなっていた。
ドイツハーフは、日本企業で働く事を通して『間違った思考』を身につけてしまっていたのです。
ゴリゴリの日系企業で働いた結果
ドイツ駐在になっても、いわゆる『ドイツ人の働き方』を実践する事できませんでした。
残業状態がデフォルトで、不効率な仕事は日本以上に多かった。いずれにせよ、日本で勤務していた時と同じくストレスがつきまとう働き方でした。
良くも悪くも、日本企業の多くは仕組みでまわっています。
「右向け右!」で全員が右を向くことが良しとされる文化なので、それを確実に実行するために、職場には様々な慣行や暗黙のルールが盛りだくさん。
報連相とか超細かい
そのような環境に身を置いて来たことで、『周りに合わせる働き方』や『受け身の姿勢』が身についてしまったのです。
上司や古い社員から言わせれば「残業は当たり前!」であり、職場にはチームワークではなく足並みをそろえるだけの集団行動がはびこっている。
効率は無視
そして、そのような働き方を海外でも忠実に実行する日本の会社員。
ムダ会議に思考停止で参加して、とりあえず残業して…。指示待ちが得意な人達。
ドイツハーフのコダモンも、その一員になり下がってしまったのです。
会社を辞めるキッカケ: ドイツ人の働き方
駐在員としての生活も2年が経とうとしていました。
その間の海外生活の中で、現地の人に見習う事はたくさんあった。
感化された
そして…。
これが会社を辞める大きなキッカケになりました。
同年代の、とあるドイツ人プロジェクトマネージャーと仲良くなったのですが、彼は毎朝7時に出社していました。
たまの残業を含めても、彼にとっての定時は夕方4時。朝からバリバリ仕事を効率的にこなして、所定労働時間の8時間をこなしたらさっさと帰ります。
そんなドイツ人の同僚は、とても規則正しい会社員生活を送っていました。
『休みたい時に休む』『食べたい時に食べる』という、当たり前だけれど会社員生活の中で実行がなかなか難しい事に対して、強いこだわりを持っていたのです。
その彼は、毎朝9時頃になると『常備している朝食セット』をおもむろにロッカーから取り出して、ゆっくりと時間をかけながら自分のデスクでムシャムシャ食べ始める。
朝食タイムはマスト
そのルーティーンは信じられないほど徹底されていて、朝食タイムの間に取引先から電話が来ても対応をしないし、社内の会議も必ずカブらないように設定していた。
ドイツ人は、各々が持つ『自分ルール』で1日のスケジュールを管理し、メリハリのある働き方を心がけます。
そして、その仲の良いドイツ人は、出張の時でも必ず『食べる時間』を確保していました。
「食べる事が好き」という単純な話ではなく、食事をしっかり摂取してベストなコンディションで働くという事を徹底しているわけです。
とてもストイック
取引先との打ち合わせに遅れそうな状況であっても、『食事』が優先。これには何度もヒヤヒヤさせられました。
こちらからすれば「食べるのは後回しにして、もっと急ごうよ…!」と言うギリギリの状況でも、そのドイツ人は平然と時間をかけます。それでも、もちろんビジネスに支障はなく上司を満足させる結果も出している。
このような『心身ともに余裕のある働き方』に、本当に感銘を受けました。
「自分もそうやって働けたらいいなぁ…」
そのドイツ人の働き方を間近で見ながら、いつしかそう考えるようになっていました。
- 社員1人1人がワークスタイルを確立させて効率良く働く
- 仕事に振り回されるのではなく仕事をコントロールする
- 最小限のストレスと労働時間で働いて『ライフ』を満喫する
そのようなドイツ人の働き方にはワークライフバランスがあったのです。
豊かな働き方
かたや自分は、ドイツのオフィスでいまだに日本人上司の相手に悪戦苦闘している。そして、現地のドイツ人から言わせれば「クレイジー」なほど残業をしている。
他の日本人駐在員からなるべく距離を置いて働いていたけれど、日本企業で働いているうちは『日本式』の働き方から離脱する事はできない。
「おいコダモン、たまには早く帰れよ」
仲良くなったドイツ人の同僚は、そのように声をかけてくれる。夕方の4時に「お先にー」と言って颯爽と帰宅して行くドイツ人。
そのような働き方を見て、たくさん考えさせられたのです。
会社を辞める決心をした
気が付いたら、ドイツハーフは転職活動をしていました。
「何かを変えたい!」
そう思ったからです。
実際に行動に移してみたら、転職市場ではありがたい事に『引く手あまた』でした。
はじめての転職
30歳そこそこという年齢。また、1回目の転職ということもあり、タイミングが良かったのでしょう。転職活動はすんなりいきました。
いったん走り始めたら、全てがあっという間でした。
『新天地』であるドイツ企業もすぐに見つかったけれど…。ここでちょっと足を止めて考えてみる。
自分は本当に会社を辞めるのか?
今現在のステータスは『ドイツ駐在員』です。そこには経済的な恩恵もあるし、このまま甘い汁を吸い続けることもできる。
出向者が任期を終えて帰国したら昇進が約束されているとも聞くし、今の会社には明確なキャリアパスもある。
辞めない方が安全?
これまで自分なりに頑張ってきたし、日本での辛い期間を乗り越えてようやく海外勤務が実現できた。このまま同じ会社にいる事は『安定』『安泰』をもたらすでしょう。
それでも、辞めるのか…?
自分が勤めていたのは決してブラックではない、日系の大手上場企業。
しかし…。
やっぱり辞めよう
その会社で働き続ける意味が、もう見えなくなっていました。
4年半の会社員生活で本当にたくさんの経験ができました。けれど自分は今、会社と決別しようとしている。
年功序列や終身雇用の名残があり、安定的に昇給や昇級ができる日本の会社。でも、そこで働き続けるためにはとても大きな自己犠牲の精神が必要でした。
会社を辞めたら、もう二度と戻って来ることは無いでしょう。
再度自分の胸に手を当てて、将来の事をゆっくりと考えてみる。
ドキドキ
するとそこには…。
自分でもビックリするくらい不安はありませんでした。
会社にはとてもお世話になったけれど、罪悪感はない。
日本企業には昔から変わらない慣行や文化がとても根強く残っていて、それは今後も変わらない。
働く環境の中で何かを変えたいならば自分から変えるしかない。
入社してから海外赴任をするまで、日本のサラリーマンとして4年半走り続けてきました。決して長くない期間の中で、自分が一人前になったかどうかも定かではない。
けれど…やれる事はやった。
そして、もうそれで良かったのです。
退職届を出してみた!
人生で初めて退職届を書いてみるドイツハーフ。
そこにも細かいルールがあるようで、自分が『退職願』を出すのか『退職届』を出すべきなのかもわからない。
そもそも、今のご時世で書面で手渡しなんてするのだろうか?
わかない事だらけ
初心者だから、コソコソとネットで調べてみる。
不慣れながらも、なんとか一筆したためて…。
意を決するように、お偉いさんの部屋へ。
前置きもそこそこに。スッ…と書き立てホヤホヤの『退職届』を提出。
すると…。
「…えっ!?」と、これまた絵にかいたような驚きの表情をされました。
恐らく、お互いにとって初体験な状況に一瞬だけ場がフワッとします。
一瞬時間が止まった
「あ…ああ。まぁ座れよ」そう言って、退職届をそっとテーブルのはじに置いて、「詳しく話を聞きたい」と言われました。
一通りのやり取りの後、どうやら上司も (このドイツハーフ…。本気だな) と悟ったようでした。
それでも、なぜか退職届は受理されず。
「一度上の人とも話すから」
みたいな事を言われました。
(お前がその『上の人』だろが!)
何はともあれ、そこから欧州の拠点長とも話をする事になりましたが、それでも「退職の強い意志」が変わらない旨を告げました。
こうして、ドイツハーフが『日本企業に就職してみた』という4年半に終止符が打たれたのです。
尊敬する上司の言葉に涙
最後に…。
メールで伝える事が心もとなかったけれど、日本でとてもお世話になった、尊敬する上司のシノハラさんにご連絡。
あの時はとてもお世話になったこと。
たくさんご迷惑をおかけしたこと。
せっかく面倒を見てくれたのに、最後まで期待に沿えなかったこと…。
自分なりに、その想いを全部書きました。
そして…。
いよいよ残された出勤日も数日となった日に…シノハラさんから返信がありました。
「コダモンへ
会社員というものは、本当に色々なことがある。
辛いことや、理不尽なこと。言いたい事もたくさんあるだろう。
けれど、誰も『何かを間違えてやろう』などと思って仕事はしていない。それを忘れないように。
自分が『正しい』と思ってやったことは正しい判断であって、仮に間違っていても次からしっかりやればいい。
これからも頑張りなさい」
4年半のサラリーマン生活の中で、はじめて涙が出ました。
ハーフが会社に就職してみた話
全10話にわたってご愛読いただき、ありがとうございます。
ここでいったん終わりです。
ドイツハーフは転職活動も成功して、外資系企業に転職。サラリーマン生活は続きますが、ドイツの企業で新たな人生をスタートさせました。
現在進行中
駐在員時代に見てきたドイツ人のドイツ人による働き方。
ワークライフバランスのある働き方を経験してきます。
コダモンの旅は、まだまだ続きます…!
コメント